トラウマがリソースに、原点回帰の3年間
「辛かったトラウマ的な体験も、克服するとリソースになる」
そう教えられてきました。
リソースというのは、直訳すると「資源」ですが、こころの拠り所、それを思うとほっこり温かい気持ちになること、を指します。
例えば、お気に入りのカフェ、旅先での景色、お世話になった人、好きな食べ物や香り、マラソン大会で頑張ったこと、など。
そういったリソースの中に、「克服されたトラウマ体験」も含まれるというのです。
僕は、辛い体験も多かったけど、リソースも多い方だと思います。
でも、トラウマがリソースになるなんて、、正直あまりピンと来ていませんでした。。
それを体験するまでは。
研修では、強いストレスやトラウマ的体験が、短期・長期にわたってどう心身に影響を与えるか、解剖生理学的にその仕組みを理解をし、それをどう癒していくかを学んできました。
そういった左脳的学習と同時並行的に進んでいたのが自分自身の癒しです。
約3年間、講師やオーガナイザー、アシスタントさんや受講生で作り上げられる安心安全の環境の中、学びの過程で自分の内面にも取り組んでいくわけです。
話が少し進みますが、3年間の締めくくりに卒業パーティがあるとのことでした。仮装したり、出し物を披露したり、ちょっと賑やかな感じです。
研修の最初の2年間がZoomでの開催だったこともあって、そんなに盛り上がるのは難しいだろうなと感じていました。出し物を披露する人はおろか、仮装する人いるんかな?という感じでした。。
でも、ふたを開けてみれば、僕がある出し物を企画して、それに賛同してくれる仲間を集めて、何度も打ち合わせをしながら準備を進めて、当日の本番を迎える、そんなことが起こっていました。
それで思い出したのですが、中学や高校でも同じようなことをやっていたんです。
体育祭や文化祭ではクラスで率先してアイデアを出して、実際に自分も動いて楽しんでいました。
それが、いつの間にそんなことから遠ざかっていたんだろう?ということに愕然としました。
なんか、人の輪から外れたところの、ブラックホールにいた自分を見つめているような感覚に陥りました。
すると、過去の記憶がよみがえってきました。忘れたわけではないけど、奥の方に押しやってた記憶です。見ないようにしてたんですね。それほど大きな影響を与えているとは思いませんでしたが、特に人との関わりにおいて、僕を大きく変化させていました。耐性領域の狭い母親に育てられたこともあって、もともと協働調整も働きにくい神経系だったことも影響していると思います。
人と群れること、
人前に立つこと、
率先して声を上げること、
これらを避けてきていました。
でも、卒業パーティの準備の過程で、これ全部やってたんですよね。。しかも楽しんで。(笑)
率先して声を上げて、群れて、人前に立って、おまけに歌まで歌っちゃう。。
それは、安心安全の環境の中、仲間と出会い、社会交流を重ねるごとにバランスを損ねていた神経系に柔軟性が宿り始めて、自然な形で人と関わりたい気持ちや遊び心が芽生えてきた、そういうことだと思います。
自分のトラウマを癒すために企画したのではないんですけどね。。
会場がひとつになる、あの熱気は忘れられない。いい冥途の土産ができました。
克服できたこと
・想いを伝えること
・「助けて」「手伝って」と言えること
・人前に立つこと
・人前で話すこと
・自己調整と協働調整
臨床にどう生かすか
・より深く腹側に留まり遊び心も取り入れる
・腹側に根差すことでトラッキングの精度も上がる
・1対1から別の形が生まれる可能性
・横のつながりを大切にする
「トラウマがリソースになる」を体感させていただきました。
仲間たちに感謝です。
これからもよろしく。
セラピーの場では、安心安全を感じていただけるように努めていきます。
そして、トラウマを克服した先には、自分自身が楽しく輝ける世界が待ってるんだよって、
すると不思議と、周りも楽しく輝いてくる、そう自信をもってお伝えしたいと思います。
ありがとうございます。
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